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2018
9.06

綾子舞の伝承の歩み

 

慶長8年(西暦1603年)、出雲のお国が京都で演じて人気を集めた「かぶき踊」は、その後多くの追随者によって各地で興行されることになります。
江戸時代の初期に製作されたという「歌舞伎図巻」(徳川美術館所蔵)。ここには初期歌舞伎踊の舞台の様子がみごとな色彩で表現されています。
さらに描かれた踊り手たちの手振りや姿が、現在伝えられている「綾子舞」とよく似ていることが注目されました。
 歌舞伎図巻

 

「歌舞伎図巻」には初期歌舞伎で演じられた5つの踊歌の詞章と踊が描かれています。
そしてこの中の二つは、現在も綾子舞によって伝えられています。
そのひとつ「因幡踊」の図には、二人の女性がユライのような被り物をして、扇を手に踊っています。
腰を深く落とした姿や、扇の使い方など、綾子舞との類似点がたくさんあります。
 
 綾子舞

 

「しのびおどり」として描かれている踊りは、綾子舞では「恋の踊」の名前で伝えられています。
腰を「く」の字に曲げて扇を使うところなどは、綾子舞の「あおり扇」とよく似ています。
ほかにも綾子舞の「常陸踊」や「小原木踊」と似た動きを「歌舞伎図巻」の踊りに見ることができます。
綾子舞は出雲のお国が広めた「かぶき踊」を現代に伝承する古典芸能として注目されることになりました。
   
  綾子舞伝承の年表 
文化12年(1815)  女谷(地名)の綾子舞組8名が江戸浅草寺境内で興行(「十方庵」の記録)、このころの衣装として、高原田(地名)の2枚、下野(地名)の1枚が残っている。
天保5年(1834)
折居(地名)の綾子舞組14名が江戸の大名屋敷で興行(座頭庄屋横田与右ェ門、囃子舞・狂言十演目上演、(甲子夜話)の記録)。
天保15年(1844)
「佐渡亡魂」に使用する下野(座元)の竜頭に「天保15年」の銘のあるものが現存している。
嘉永5年(1852)
嘉永5年の銘のある狂言・舞の台本が現存。
嘉永7年(1854)  後幕に嘉永7年の銘のあるものが高原田(座元)に現存。
明治初年ころ
高原田、下野組はたいへん綾子舞が盛んで、近郷近在へたびたび巡業にでかけた。
明治中ごろ
日清戦争のころ他の集落では廃れ、高原田、下野の集落でも衰えた。
明治41年
高原田は上条村観音堂の祭礼に出演し、現存する番付からは踊5演目、囃子舞18演目、狂言14演目を上演したことがわかる。
大正初期
下野組は鯖石村清瀧寺の祭りに2回出演した。このころ綾子踊を綾子舞と称するようになった。
昭和12年7月4日
桑山太市は鵜川(地名)で綾子舞の現地調査をした。そのとき「明神狂れ」、「佐渡亡魂」の二つの狂言を見学したという。
昭和16年6月15日
桑山氏の依頼で民謡の権威者藤田徳太郎氏、町田嘉章氏、藤井清水氏が綾子舞調査を行い、室町小謡や今日の狂言に残っていないものが、綾子舞の中に多数保存されいると絶賛する。
昭和16年7月5日
桑山太市氏(雅号戯魚堂)は「綾子舞見聞記」を発行。この小さな冊子が母校早稲田大学演劇博物館に寄贈され、後年、本田安次先生の目にとまり、綾子舞研究に着手するきっかけとなった。
昭和20年8月
戦後の芸能復興の波に乗り、二つの集落は若者多数も参加し、女谷黒姫神社や柏崎神社の祭礼で後援し、意気大いに上がったとされる。
昭和25年8月18日
早稲田大学の本田先生(民俗芸能)が鵜川(地名)に約1週間滞在して、高原田・下野・折居の綾子舞を調査した。数演目を演じてもらい、座元に残る歌詞や台本の記録を書き写して資料を持ち帰り、その後も再訪し、後年、綾子舞に関する研究論文を次々と発表した。
昭和45年
鵜川小学校のクラブ活動として綾子舞伝承学習活動が始まる。
昭和51年5月4日
国の重要無形民俗文化財に指定される。
昭和58年
鵜川中学校で綾子舞伝承学習活動が始まる。
平成3年
綾子舞伝承者要請講座が開設される。
 
綾子舞研究の発端となった「綾子舞見聞記」からは、桑山太一氏の綾子舞に対する情熱が伝わってきます。
 

【綾子舞見聞記】(抄)桑山太市(著)
 

刈羽郡鵜川村、女谷に「綾子舞」といふ室町小謡が残つてゐるといふことがわかり、私は昭和11年に一度調査にかゝつたのである。この時の参考書は「温古の栞」23巻中の記事と「甲子楼文庫」の筆書きの記事によつたのである。
処が「アヤコ」といふ名前のことから、とんだ脇路へ這入つて、結論へ達しないうちに、途中で筆を止めたのである。処で、翌年7月4日松山甕二氏と一緒に鵜川村へ這入つて行き、土地の形勢、風俗人情を親しく見るにつけ、是より先、この年の5月2日、柏崎小学校に於て、新潟県神職会刈羽支部の主催で数番演じられたのである。
中略
聞くところに依ると、同じい女谷でも、下村と高原田とは、現存してゐる踊の数が違ふということである。下村と高原田とは綾子舞の発祥及び演技においても多少異つた意見を持つてゐるといふことである。何はともあれ、下野も高原田も、同じ女谷であればこそ此処に女谷の郷土舞踊、女谷の郷土民謡として識者に呼びかけ度いのである。
以下略
 

参考文献:柏崎市綾子舞後援会編「重要無形民族文化財指定20周年記念 出羽・本歌・入羽-綾子舞、21世紀への伝承-」